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「異世界に来たけど至って普通に喫茶店とかやってますが何か問題でも?」
(第0部)[1/1]

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 ある日、僕は異世界へとやってきた。


 小説や映画なんかではそう珍しくもない光景だ。しかし、僕は物語の主人公になるほど特徴ある人間ではないし、ヒーローというには地味に過ぎた。平凡な毎日に飽き飽きしていて、でも、それを変えるような度胸も行動力もない、そんな人間だった。


 そんな人間に、まさかこんなことがあるとは思ってもみなかった。


 僕は平凡な毎日を送っていたし、このまま何事もない、普通という型にはまった人生を送るんだろうと思っていた。それは少しだけ精彩に欠けていたけれど、僕と言う人間には相応しい未来のように思えた。


 悪くない。


 ああ、悪くないさ。普通でいいよ。普通で上等。平凡、平穏、最高じゃないか。




 話は変わるのだけれど、僕の両親は喫茶店を経営している。寂れかけた町の隅っこにある、小さな店だ。隠れた名店といえば聞こえはいいが、単に繁盛していないだけとも言えた。だけど、やってくるお客さんは誰もが個性的で、賑やかな毎日だったように思う。

 じーちゃんが始めたというその店は、もちろん古い。壁には流れた時間の分だけ染みや汚れがあったし、カウンターやテーブルは僕よりも長生きで貫禄があった。


 カウンターの向こう側で、父さんが自慢のブレンドコーヒーを入れている。年齢と容貌が比例していない母さんが、無駄にフリフリのついた制服を着てコーヒーを運んでいる。店の奥のテーブル席で、じーちゃんが豆腐屋の玄さんとチェスをやっている。

 そんな、探せばどこにでもあるような、小さな喫茶店だ。


 僕はこの喫茶店が気に入っていた。そこに流れる、ゆったりとした時間が好きだった。僕を急かす時代の流れってやつも、この店の中にだけは入ってこれないようだった。


 だから、僕はもちろんこの店を継ぐつもりだった。料理の作り方や、コーヒーの淹れ方。仕入れのノウハウや、営業スマイルの作り方。女の子の口説き方や、カッコの付け方。多少おかしい部分もあったが、そんなことをじーちゃんや父さん、そしてやってくるいろんなお客さんから学んでいた。


 こんな風に生きていくんだろう。僕はそう思っていた。


 じーちゃんや父さんがそう生きてきたように、僕もこの店と一緒に歳を重ねていくんだろう。平凡な恋をして、平凡な家庭をもって、平凡な日々を過ごして。そして、じーちゃんや父さんのように、この喫茶店を引き継いでいく。


 そんなことを考えていた矢先だった。



 ある日の学校帰りだ。


 その日、悪友の悪戯に巻き込まれたせいで、帰りが遅くなっていた。空は真っ赤に染まっていて、空の端にはもう夜の闇が見えていた。不思議と人通りもなく、まるで世界が動きを止めたような空間だった。不意に、僕の足下から地面が消えた。マンホールに落ちるように、僕は黒い穴へと飲み込まれていった。




 僕がやってきたのは、異世界だ。


 ファンタジー小説をそのまま具現化させたような、そんな世界だ。


 魔法が存在するし、人間以外の種族だっている。魔物がうじゃうじゃといる<迷宮>とやらがあって、その迷宮を囲むように作られた都市に、僕は住んでいる。


 あれから2年が経った。15歳を迎えたばかりだった僕は、気づけばもう17歳。時の流れは実に早い。


 いきなり異世界に放り出されたわりに、よくあるご都合主義というのはなかった。なんかすごい力があったわけでもなく。選ばれた勇者でござるとか、そんな話も見つからず。お前を召喚したのはわしじゃ、とかいう人もいなかった。物語らしい物語が始まる予兆も全くない。

 至って普通の一般人である僕は、異世界でも至って普通の一般人だった。なんで異世界に来たのか、まったく意味が分からない。これが神さまの仕業なら、神さまは何をしたかったのだろうか。酔った勢いでとか、手違いでとか。たぶんそんな感じじゃないだろうか。


 ここ2年で調べた限りでは僕がもう帰れないことは明確らしいので、こっちで平凡に暮らすことに決めた。そうするしかなかった。


 この店から2区画先には<迷宮>へと続く門がある。そこから先は、きっと素晴らしいファンタジーなのだろう。目の前の通りを左に3区画いったあたりに、冒険者<ミスト>の登録や、クエストなんかを扱う<ギルド>という組織がある。ここもきっとファンタジーなのだろう。他にも例を挙げれば両手を折り返しても足りないくらいだが、まあ、僕には全く関係のないことであるからして。


 ここは異世界で、実にファンタジーに富んだ設定に溢れていた。冒険者になって一攫千金とか、命を懸けた<迷宮>探索の中で美少女と出会うとか。ゲーム的にいえばフラグがあちこちに存在するものの、特に興味がないのでどうでもいい。僕は平穏が好きなのである。人外の化物と殺し合いとか、正直、勘弁なのである。こちとらただの学生だったのだ。今さら化物退治とか無理です。


 そんなわけで、魔法とか魔物とか、そういうのとは一切の関わりを絶ち、せっかくの異世界だけど特に変わったことをするでもなく。


 僕は至って普通に、平穏に生きるために。


 喫茶店を、やっているわけでありまして。




 この話は、なんてことのない話だ。

 僕の喫茶店に来るちょっと変わったお客さんと、平穏大好きな僕の、平凡な毎日の話だ。断っておくが、魔物とか正直いらないし、迷宮とか行く気もないし、美少女とかもどうせイケメンと仲良くやるんだろう。そんな僕の毎日は、本当に普通なのである。不本意なことに、ときにはそうじゃなくなることもあるけれど。それでも、平穏を目指しているのである。


 それでも構わないという平穏好きな人は、暇潰しにでも僕の話に付き合って頂ければ幸いだ。コーヒーでも傍に置いて、いつも背中を押してくる時間の流れってやつを無視する心意気で、まったりぐだぐだしてほしい。


 さて、思いのほか前置きが長くなったけど、そろそろ開店の準備をしよう。


 平穏を愛し、平穏を望む喫茶店「ハルシオン」


 本日も開店である。









▽3月26日/チラシの裏よりやってきました。それに伴い全編誤字修正。
▽4月2日/削除した感想レスを再生。

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