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「その一『ハル長官の憂鬱』」
(第1部)[1/1]

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            その一『ハル長官の憂鬱』




 その日もアメリカ合衆国国務長官、コーデル・ハル氏は憂鬱だった。
 憂鬱の原因ははっきりしている。彼の上司である合衆国第32代大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルト閣下だ。

 「しかし大統領閣下、現場の証言だけではなく物的証拠からも彼我の技術差は明かです。ご再考をお願いします」
 「証拠と言っても墜落機の破片なのだろう? それで何が分かると言うのかね」

 今日も昨日や一昨日と同じ光景が繰り返されている。
 いったい何時からこんなことになってしまったのだろう。かつては、自分の記憶が確かなら何年か前まではこうではなかった。

 「お願いしますから報告書を読んでください。翼の構造から航空機設計の先進性が、構造桁の強度から冶金技術の水準が、ネジやビスの精度から大量生産システムの規模が分かります。どの技術を見ても我が国よりも二年から五年は進んでいます。正直な話、我が国と互角なのは塗装技術ぐらいしかありません」

 額に青筋を立ててまくし立てる補佐官の剣幕に押されて、車椅子に座る大統領は分厚い報告書をめくり始めた。
 書類をめくる音が半時間近く過ぎてから、顔を上げた大統領の発言は彼以外の全員を絶望させるのに足るものだった。

 「なるほど、ドイツの技術発展は恐るべきものだな」

 室内にいる、大統領以外の数人の視線が交差し、うち一人を除いた視線が除かれた一人に集中する。視線を集中されてしまったその男、アーネスト・デニガン補佐官は咳払いをして合衆国元首の発言を訂正した。

 「いえ閣下、それは日本軍機の報告書です」
 「だからドイツが開発した戦闘機を日本軍が使っているのだろう? そうとしか考えられまい。猿と混血した劣等人種が相手ならともかく、ドイツ軍がこの戦闘機を正式配備した場合はやっかいなことになる。航空機関係の予算を増やさねばならんな」
 「閣下、その報告書にもあるようにドイツ軍の方が日本製の戦闘機を使っているのです」

 ドイツ側協力者(有り体に言えばスパイ)の情報提供により、問題の戦闘機がタイプ98と呼ばれる日本軍の主力戦闘機である事が判明している。
 ドイツ空軍内では総合的に見て現在どのドイツ製戦闘機よりも優れていると評価され、空軍幹部の某大佐などは「今すぐこれをライセンス生産しろ」と主張しているらしい。

 現在小康状態にあるチャイナ戦線ではこの機体に対して損害比無限大、つまりこちらは落とされるのに向こうは一機も落とされない屈辱的な記録が残されている。
 日本軍の発表によればタイプ98は八十機が合計1307回出撃し、空中での撃墜破約300、地上での撃破500以上、その他の地上目標270以上を撃破している。損害は地上撃破7、行方不明2、基地及び輸送中の破損廃棄16。
 なお、壊滅的打撃を受けた現地の義勇兵部隊からはこの数字は実際の損害とほぼ等しいと報告されている。 
 日本軍がチャイナ方面の戦線を縮小し、汪兆銘率いる傀儡政権軍に前線を任せるようになった現在はタイプ98を装備した部隊がマンチュリア方面に移動したため、不名誉な記録は更新されていない。

 「馬鹿なことを言わないでくれたまえアーネスト、我が国から屑鉄を買わなければ製鉄もできぬ未開国がこんな高度な機械を作れる訳がないだろう」
 「閣下、本当の未開国は屑鉄があっても製鉄なんて出来ません。更に言うなら日本はもう屑鉄の輸入はしておりません。我が国からも、ソヴィエト以外のどの国からもです。少なくとも輸入した証拠は見つかっておりません」
 「ならソヴィエトから鉄屑を買っているのだろう」
 「ソヴィエトからの輸入は精々年間二万トン程度です。日本が現在生産している年間三千万トン以上に及ぶ粗鋼の0.1%にもなりません」
 「その三千万トンという推定が間違っているとしか思えないな。たかが二年や三年で粗鋼生産量が10倍以上に増えたなど、信じる方がどうかしている」
 「それは、その通りではありますが、しかし」

 補佐官の弁に勢いがなくなる。確かにおかしいのだ。
 日本の工業力では、少なくとも三年前の日本の工業力では二十四時間体制でフル稼働しても年あたり六百万トンが精々だろう。
 だが、航空機による偵察なども含めた情報から総合的に判断すれば、どう考えても日本は年間三千万トン以上の鉄を作っている筈なのだ。そうでないとしたなら、日本の船舶や鉄道や鉄筋は鉄以外の何かで出来ていることになってしまう。 

 「しかし ではないよ。文明人ともあろうものがくだらんトリックに引っかかってどうするのかね。田舎詐欺師の手口だよ、作りもしない物を作ったと言って誤魔化しているだけだ。奴らがいくら無いものを有ると言い張ったところで、日本の資源や物資が増える訳ではない。あの国への対策は変更しない。彼らへの資源輸出を止め商品を市場から閉め出せばそれだけで干上がってしまうさ」



 大統領執務室を辞した二人の男は年齢もこれまでの経歴もまるで違っていたが、共通点も少なくはなかった。彼らは栄光ある合衆国を導くべき者たちの一員であり、愛国者であり、そして憂鬱だった。 

 「すまなかったなデニガン君、無駄な時間を過ごさせてしまった」
 「いえ、私の労苦など長官に比べれば何ほどのものでもありません」

 ハル長官を始めとするホワイトハウスの閣僚達の憂鬱。それは大統領の様子が異常である事が原因だった。

 これが完全な異常であるのなら、いくらでも対処の仕様がある。合衆国の歴史は短いがその政治及び統治システムの洗練度は決して低くない。元首が乱心したぐらいでは合衆国はびくともしないのだ。

 だが、ホワイトハウスの主であるルーズベルト大統領は困ったことに日本に関係した事柄で知能障害を起こすことさえ除けば、相変わらず優れた政治家であり偉大な国家元首なのだった。
 孫ほども年齢の離れた愛人が何人もいたりとか、その日の気分で金相場を決めたりとか、初対面の者を含めて誰彼構わずファーストネームで呼ぶとか、妖しげな占星術師に政策を相談するといった悪癖があるとしても、彼が偉大である事に変わりはない。

 極端な話、政治家なんてものは九官鳥が喋る言葉をそのまま繰り返していたとしても、選挙に勝てて打ち出す政策が正しければそれで良いのである。

 ルーズベルト大統領がどれほどに偉大なのかは、彼が実行している世界戦略を見れば明らかだ。
 
 不況に喘ぐ合衆国で大規模な公共投資を行って生産力と雇用を確保し、公共投資で培った技術力と生産設備で軍拡を行い、軍拡によって造り上げた兵器と物資をイギリスに売りつけてドイツに対抗させヨーロッパ勢力の統一を妨害し、ナチスドイツの野望を挫くと同時にヨーロッパを戦火で焼き尽くしてイギリスを含めたヨーロッパ諸国を破産させ、破産したヨーロッパ諸国に返せる訳もない金を貸して返済を迫り、借金の片として列強の植民地を巻き上げ、美味しい利権をつまみ取った上で独立させる。
 敗戦または実質的に破産した列強や出汁殻状態の新興諸国は合衆国に依存せざるを得ない。かくして世界は自由と民主主義とアメリカン・ウェイに包まれるのだ。

 「まさに非の打ち所ない戦略です。成功すれば我が国の覇権は世紀単位で続くでしょう」
 「確かにな。だが、日本の存在が不気味だ」
 
 ハル長官としても、合衆国が日本に負けるなどとは考えていない。
 彼が持っている情報が全て正しいとして、たとえ日本が正体不明の新型高速戦艦四隻と世界最高の戦闘機部隊を持っているとしても、合衆国が一度本気を出せば必ず勝てる。
 だが、楽に勝てるとも思えない。決着が付くまでに一年半から二年はかかるだろうし、その間に何度かの大がかりな戦いと数え切れない小さな戦いが起こり、少なからぬアメリカ人青年が死ぬだろう。相手は無力な猿ではなく、武装した人間なのだから。

 もちろん大統領もいつかは己が過ちに気付くだろう。だがそれでは遅すぎる。
 
 「彼らは強敵だ。舐めてかかれば、本来なら死なずに済む兵たちが何万人も無意味に死ぬことになる。それだけは避けねば」
 「はい。悲劇を防ぐために、我々も微力ながらお手伝いします」

 
 こんな訳で コーデル・ハル国務長官は今日も憂鬱だった。明日も明後日も憂鬱だろうと覚悟していたし、実際その覚悟は無駄にならなかった。
 不幸なことに彼や彼の同僚や部下たちの憂鬱は、彼らのうち最悪の予想をしていた者の想像よりも長く続くことになる。



続く。


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