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「無題 プロローグ」
(第0部)[1/1]

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無数の星が瞬く空の下。地上。
晩冬のよく冷えた空気が支配する真夜中の街の一角で、はあと大きく、1つの暖かな吐息が宙に溶けていく。
その呼気の主である女性は、激しくも持続的な苦痛と幾分かの疲労による汗を褐色の肌に浮かべながら、瞬きを1度だけぎゅっとして、額に張りつく前髪を除けるために左手で自身の黒髪をかき上げた。
再びぱたりと落ちた手が触れるのはひび割れた石材の地面で、叶うならば右のそれも同じ感覚を呈してくれればよかったのだが、如何せん、右は肩から先が千切られてどこかへ行ってしまった。
ついでに再確認してみると、もはや脚の感覚は右が足首より先が無く、左に至っては太腿の中途から下が見当たらない。

致し方ない事ではある。彼女───龍宮 真名───が如何に手練れた殺し屋であろうとも、命を懸けた戦闘において対峙した相手がその実力を上回っていたのなら、そして目的を果たすにはその殺し合いを避ける事能わぬと言うのならば、その末に腕と脚がもがれる結果になったとて何ら不可思議な点はない。
しかしここで重要になるのは、その死合いの決着が如何なる結末を彼女に与えたか。
そしてその答えを率直に開示するとすれば、彼女は致命寸前の重傷を負いながらも見事に勝利を掴んだのである。女性は生き延び、その左手に握られていた奇怪な形状の小銃によって頭蓋を撃たれた敵対者は、まるで脳内に爆弾でも抱えていたかのように頭部を破裂させ、そして息絶えた。
龍宮真名の今宵の死闘は、今この刻をもって幕を下ろさんとしているのだ。


「・・・・・おい、■ ■ ■。通信コマンドだ。さっさとあちらのリーダーに繋げ」


可能なら私の転送を最後にしろとも、彼女は言った。
四肢を半ば失った重体であるにもかかわらず、息遣いの乱れぬ声でそう告げた女性の目前で、唐突に真白い文字が宙に出で、さもタイピングのように文章をつらつらと綴ってゆく。


つうしんこまんどを しようします つうしんさき やまちゃん すりー つー わん どうぞ




途端、綴られた文はノイズと共に掻き消えて、代わりに青白いマークが現れる。
マイクを模したデザインのそれに、龍宮は僅かに重々しげな声色で語りかけた。


「山下先輩。聞こえているか。状況はどうなっている。・・・・おい、生きているのか」


その呼びかけに対して返答は無かった。だが、彼女の比較的鋭敏な聴覚は言葉の代わりに微かな呻き声を捉える。間違いではなかろう。彼は生きている。
それから2、3度にわたる再びの呼びかけを経て、通信先の男がようやっとまともな言葉を返してきた。弱々しく、かすれた青年男児の声だった。


『その声・・・・龍宮さん、か・・・・・無事、だったのか』

「無事、とは言い難いがね。腕と足をもっていかれたよ。・・・だがこれで、サーヴァントチームのミッションは終了だ」

『そう、か・・・・・・・生存者は・・・?』


生き残りの有無を問われ、やれやれと小さな溜め息を吐きながら、龍宮は左腕の肘を支えに上体を僅かばかり起こす。

先ず以て視界に入るのがアレだ。彼女の倒れていた位置から数メートル離れた場所に、今も尚、形を崩してゆく黒の塊が1つ。
アレはつい数分前まで人型だったモノであるが、女性がその頭蓋を撃ち壊したが故に完全な死を迎え、それはゆっくり、ゆっくりと、石像が風に吹かれ砂と還り、散ってゆくが如く消えゆくのみ。なればこそ奇妙であったのが、首から上をごっそりと失い、もはや死体同然だった筈のアレが結局、地に膝をつける事がなかった点だ。
しかし、既に決着はついている。気を配るべきは別にあると視線を外して、彼女は周囲を見渡した。

死屍累々と呼ぶには足らぬ。されど幾人かの、かつて戦場を同じくしたメンバーの死体が散らばっているのを見とめ、それでも尚、彼女は努めてその中に生存者がいないかをその眼で探った。
そして結果的に、やはりというか、何というか。死体だらけの戦場の端っこで倒れ伏し、身の震えを隠しきれずにいるそれを。たった1人生き残った男の存在を、龍宮はふと浮かんだ笑みと一緒に受け入れる事とした。


「私の他に、一名だ。名は言わないでも分かるだろう」

『・・・・ふ・・・彼か・・・・・相変わらず・・・の、悪運・・・だね』

「まったくだな。運と言えばいいのか、ゴキブリ並みの生命力と呼ぶべきなのか。・・・・とにかく、私もじきに転送される。助言なら、今のうちに受け付けてやらん事もないが・・・」


周囲の確認は終えたとばかり再び仰向けに倒れながら彼女は言う。星を眺める趣味などないが、今ばかりは視界を埋める星々を受け入れる他ない。
耳に届く微かな呻きの正体を察し、それでも落ち着いた様子で男からの返答を待つ。


『・・・・・そう、言えば・・・・先生の・・・アドバイス、は・・・・役に、立ったの・・・か』

「・・・ああ。“大賢者”ゆえか、あるいは縁者だったか・・・・ターゲットの弱点、確かに彼の言う通りだった」

『・・・・さすが・・・先生、だな・・・』


英霊。あるいは、サーヴァント。
この戦場でそう呼ばれる者達こそ、さきに龍宮が屠った敵対者であり、そして青年の言う“先生”その人であった。
高潔で礼儀正しく、常に迷いし者を導かんとしたあの男は、ついぞこの日まで教えを請おうなぞとしなかった龍宮にさえ、今回ばかりは教えを授けた。それは教示というよりもどちらかと言えば解答の開示に近い代物ではあったが、事実、彼の指摘した肉体の部位を狙うことによって、戦闘における敵対者の優位性を剥奪し彼女が勝機を見出す要因となったのである。


「そちらはどうなんだ。先輩以外の奴らはどうした」

『・・・・・死ん、だ・・・・・・あとは・・・・僕、だけだよ・・・』

「・・・・先輩は、これからどうするんだい」

『・・・そう・・・だ、なぁ・・・・』


どうやら笑ったらしく、長閑な返事。その直後に彼は1、2度咳をして、龍宮にもはっきりと液体が跳ねる音が聞こえた。その男のいる場所はきっと、鉄の匂いで充満しているのだろう。
彼女は何も言わずに、男が続ける言葉を待った。


『────────死んで、くるよ』


その刻、彼は覚悟を決めたのだ。
“山下慶一”という男にとって、それが彼の生涯において最も清々しい決断であった事は間違いない。
だが同時に、それをひどく悲壮で悲惨なモノだと理解できるのは、この場で3人・・だけなのだ。

そう。・・・・・今は、まだ。


























ズズン、という地響きのような音が、遠くどこからか聞こえてくる。
四方全てを機械の壁に囲まれて、時折散った火花に照らされるだけの、狭く暗い場所。
幅にして半径2メートルほどの完全に隔離された空間で、その中央に座して動かない巨腕の人型があるとすれば、それが今の山下慶一という青年であった。

端から見ればそれが人間であるなどとは、誰も思うまい。
彼が身に纏う漆黒のスーツはその全身をぴったりと覆いながらも頭部のみを露出しており、脚部から背中、肩にかけてはあらゆる部位にケーブルが数本ずつ繋がれていた。
だが最も異様なのは腕だ。装着する彼自身の身の丈ほどもあろうかという大きさ。両腕がそれぞれ丸太の如き分厚さを持ち、されどそれは確かに漆黒の腕の形状を成している。人間というよりはもはや、ゴーレムとでも言われた方が納得できる姿だった。


『死ぬ、か。──────特攻でもする気かい』

「・・・・そんな・・・ところ、だよ。・・・・・どっち、みち・・・・これじゃ・・・・・・たす、からないしね」

『・・・・・どんな容態なんだ』

「・・・・腕、とか・・・・足とか・・・・・腹、とか・・・・ね・・・」


鼻につく鉄の匂い。絶えず内側を炙られるかのような痛み。耐えがたき苦痛。
その光景が呈する様相は惨いの一言で表されるべきなのだろう。

有り体に言えば、串刺しだ。それが彼の現状だった。

どこから生えてきたのかも分からない、細くも強靭な鉄骨が、青年の肉体を至るところで貫通している。傷口からはスーツの内部に満たされていた液体が共に溢れ、紅い筈の血もドス黒く染まっている。
彼が座して動かないのもその意思によるところではなく、鉄骨によって貫かれた身体にはその激痛の方が耐えかねたからである。
そも、いつどのタイミングで斯様な惨状に至ったのか、少なくとも彼の記憶にはなかった。ともなれば間違いなく、気を失っている合間に起きた事故という話になる。
しかし、ならば何故、鉄骨がスーツを貫通し、肉どころか骨や臓腑までをも抉った瞬間に意識が醒めなかったのか。


『・・・いくらそのスーツでも、それだけ血を流してはな。もう機能のほとんどを失っているだろう。やられたのが腹ともなれば・・・・致命傷だ』

「・・・・そう・・・だろう、ね・・・・」


血と共に流れてしまった液体。それこそが今の今まで彼の生命維持を支え、痛覚を抑えてくれていたものだったのだ。
だがそれも既に多くが喪われた。結論を述べるならば、山下慶一はじきに命を落とすだろう。

現状でその結末を避ける術があるとすれば、それは1つだ。
ターゲットを殺害すること。選択肢など初めからありはしないのである。


「・・・・龍宮、さん・・・そこから・・・の姿は・・・・見える、かい」

『・・・距離はあるが、見えないこともない。・・・・なるほど。あの人達・・が押し止めているという訳だ』

「・・・・行かなきゃ・・・ね・・・・仕留め、られるのは・・・・・コレ・・・だけだし・・・・」


彼は。山下慶一はそれでも、死を避ける事ができないだろう。
ターゲットを殺しきった瞬間に、彼は逝く。そも彼の意識がそれまで保つのかすら怪しい。
だが為さねばならなかった。彼自身のために。彼を支えてくれた人のために。
夢を共にし、肩を並べてくれた“友”のために。そして、何よりも──────。


「・・・・・■ ■ ■。・・・・僕から・・・奪える、もの・・・・・ぜんぶ・・・持ってって、くれて・・・いい。・・・・・・だから」


後生など、元より期待はしていない。だからこそ、今。ここで全てを絞り出す。
死の運命を受け入れることでしか広げられない、選択肢を。
可能な限りの代償をもって、最上の結果を掴まんがために。

交渉コマンド。彼が呟き、宙に文字が綴られていく。

青年の中にはもう、不安など欠片もありはしなかった。その端正な顔が浮かべた不敵の笑みこそが、彼の心情を物語っている。
ただ、1つ。
1つだけ未練を残すとすれば──────。


「“彼女”だけは・・・・・返してくれ・・・・!」


叶うのならば、もう1度。
愛するあの娘と手を繋ぎ、海辺を歩いてみたかった。
































「どうやら奴も転送されたようだ。私の番が来るらしい」


視界の端で震えていた筈の男は、脚から頭にかけてゆっくりとその姿を消し、完全にこの空間からいなくなった。
その光景をしかと認め、龍宮真名は目前に浮かぶ青白く光ったマークへと告げた。

いまや討ち取ったターゲットの残骸も消え去り、この場には四肢を半ば失った彼女と、戦場を血で染めるメンバー達の死体が転がるのみ。
そう刻も経たぬうちに、最後の生き残りである彼女もまた、このフィールドから転送されるだろう。

それはつまり。
この戦場と化した真夜中の街でいまだ戦う彼らと、もう会えないということを示していた。


「今生の別れ、というやつなのかな。先輩」


しかし、かつては偉大なる魔法使いの従者として戦場を渡り歩き、今も尚殺し屋としての裏の顔を持つこの女性にとって、人の死などはもはや珍しいものでもない。
だから青年に向けたその言葉にも、既に重苦しさや焦りのようなものは含まれない。
それどころか、彼女の表情は僅かに笑みを湛え、声色には清々しささえも感じられた。


「・・・ああ・・・・君の・・・願い・・・・いずれ、叶うと・・・いい、な」


対して、マークを通じて届いた男の声は、やはりというか苦しげだ。
無理もないだろう。スーツを身に纏っているとはいえ、致命傷を負った身体は血を流しすぎた。
それでもどうにか体内の“気”をコントロールすることによって、彼は命を繋いでいるのだ。

そして今。
彼は最後の出撃のための準備を進めていた。
もはや自らの意思で肉体を動かすこともできない彼は、■ ■ ■との交渉の末に彼の獲得してきた多くと自身の心身を代償として、戦いの術を得た。
結果的に現在の彼には、神経覚醒や睡眠促進などの効果をもつ薬物が大量に注ぎ込まれるのとほぼ同義の工程が為されていた。

今しばらくの待機時間を、彼らは最後の会話として言葉を交わし過ごしている。


「勿論そのつもりだ。“聖杯”とやらが真に人智を超えた奇跡さえ成す願望機だというなら、私の願い程度・・・叶えてもらわないと困る」





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