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「若き天才将校白銀武」
(第0部)[1/1]

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 この手記は、ほとんど忘れ去られて久しい、50年前の国連軍横浜基地における一つの風景を切り取ったものである。その風景は、私の同僚によれば、私の妄想であるらしかったが、しかし私はどうしてもその風景を忘れがたく感じており、桜花作戦から50年経った紀元2051年のこの節目に、横浜基地平和資料館の皆さまから、当時の思い出について述べる文章や絵を送ってほしいという依頼を受けたことをきっかけにして、あの忘れ難い風景を幾ばくかしたためることとする。

 そのとき私は国民学校を卒業したばかりの15歳であった。私の記憶が正しければ、青黒い国連服を着た若い女性の軍人さんが、××村の徴兵係担当の田村さんを通して、私の家にやって来たのであった。私の実家は7人兄妹の大所帯であり、父はすでに三度目の徴兵で戦死していた。42歳で戦死したと聞く。今はもう、93歳になった母は、よく昔を振り返って、父が三度目の徴兵――いわゆる赤紙を手にしたときの、そのときの父の表情は忘れ難かったと言っている。
 が、みんながみんな、戦争に駆り出されていた時期であった。今ではそのとき私たちがどのような気持ちであったのか、赤紙を手にするときの、いや、赤紙を手渡すときの市町村の担当者が、どのような気持ちであったのか、想像することさえ難しいことであろう。
 そのとき父は田んぼにいたそうだ。夏の朝で、まだ7時前だったそうだ。自転車で、赤紙を渡す担当者が田んぼまでやって来て、父に赤紙を手渡す。父はそのとき、こんなことを言ったそうだ。

「もう、ないと思っていました」

 汗を流しながら、じっと手元の赤紙に目を注いでいたそうである。母はそのとき、お父さんは今回の徴兵で死ぬな、と思ったそうである。
 どうも、その時分、徴兵された者が軍隊の駐屯所に赴く際、見送りしてはならなかったそうである。すぐ、私たちは、「万歳、万歳」と叫びながら、帝国軍の軍服を来た兵隊さんを、駅までお送りするという風景を思い出すが、そうではない時もあったのである。父は、普段着で、身内以外にはだれにも戦争に行くことを告げず、黙って、だれにもわからないように、駐屯地へと赴いた。私は、父の農作業に汚れ、少し襟元が黒くなった水色のシャツの姿が忘れられない。父はそのままの姿で、小さなカバン一つで、戦地に赴いたのである。陸軍であった。もちろん衛士ではない。機械化歩兵であった。父は、今では作戦名さえ遠い過去のものとなったが、西日本のどこかで死んだようである。遺骨はなかった。

 三度も父を徴兵した帝国軍を、私はあまり好んではいなかった。私の目には、青と黒の国連軍の兵隊さんの服が、とても綺麗に、すがすがしく映った。横浜基地の国連軍は、当時、日本全国に志願を募って回っていた。もちろん、どこそこの自治体には何名まで志願可、という制限があったようである。ふつうの少年たちはみな、帝国軍に志願し、あるいはふつうの青年たちはみな、帝国軍に徴兵されるのである。父が三度も徴兵され、結果戦死した私の家に、国連軍は目をつけたのであろう。とにかく、田んぼばかりの田舎で育った私の目には、国連軍の制服は、美しかった。

 その若い軍人さんと私は、小さなちゃぶ台で顔と顔とを合わせた。母がじっと、私の顔を見つめている。軍人さんが言うには、衛士訓練学校に入らないか、ということであった。この訓練学校に入り、成績優秀者として卒業すれば、少尉になれると言うのである。戦果を残せば、一番上まで行ける特別な学校である、と言うのである。
 15歳の私は、学問が苦手なことが心配であった。だから、こう言った。

「私は、国民学校の成績もよくありませんでした。だから、高等学校に行くこともできませんでした。そのような私であっても、ついていける学校なのでしょうか」

 正直に言うと、心が揺らいでいた。末っ子の私が、学問のない私が、少なくとも卒業できれば少尉になれるというのである。今の感覚ではなかなか想像できないと思うが、当時、軍人さんは尊敬されていたのである。晴れやかな存在だったのである。たしかに、帝国軍に比べれば、国連軍は人気がなかった。少し、白い目で見られていた。だが、軍人さんは、特別な存在だったのである。

 若い軍人さんは、ほほえんでくれた。そのほほえみを見て、私は、志願することを決めた。そのとき軍人さんがなんと言ったか、覚えてはいない。だが、優しくほほえんでくれたのである。その微笑に、私は、国連軍も捨てたものじゃない、と思ったのである。帝国軍にはない、洗練された空気がある、と思ったのである。

 仲のよかった友人一人と、家族が、ひそかに、私を見送ってくれた。国民学校の制服を着た私が、電車に乗るのを、しずかに見守ってくれた。友人は、別れ際に、私の耳元でつぶやいた。

「生きて帰ってこい」

 愕然とした。私は親友の目を見つめた。親友は涙をこらえていた。その目を見て、私は、自分が父と同じように死ぬ、という未来を強くイメージした。からだが震えるようであった。私は、死ぬ、ということを、あまり考えていなかったのである。ただ、さっそうとした青く、黒い軍服を着て、故郷に帰ることばかりを考えていた。

「行ってきます」

 と、だけ私は言った。信じられないかもしれないが、「××××を倒してきます」とか、そういうことは一切言わなかった。言いたくなかった。私の脳裏には、さっそうとした、青くて黒い、軍服しか映っておらず、そしてその軍服が、血まみれに破られる姿しか、映っていなかった。


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